書き物の棚

『最高の三十代 ~Perfect SAN-JU-DAI~』という本を作りました。

詳細は↓から。

以下寄稿者の紹介と作品を掲載順にしていきます。


ぶんちん

表紙中央の絵にもなってる眼鏡のひと。「まにまに」の一味。先日発売した『生活の批評誌vol.5』にイラストも寄稿している。

『そんなことも忘れていたの ―2022年8月6日の日記―』

締め切り日直前に書かれた、ある日の出来事と照らされた煩悶の在りどころ。何も偽っていないはずなのに、感情にも行為にも噓臭さが浸漬している。筆をおくことも視野に入れたことも告解する日記が行きついた場所は、この一冊の冒頭を飾るに相応しいものだと思う。



斜田章大

劇団「廃墟文藝部」の作演出をしているひと。作家なので仕事が早い。修正もない。受領する側として最高のひと。

『三十路オブザデッド』

二十九歳を終えて三十歳を迎える夜に僕が想起する、亡き祖父と折り鶴の思い出。遊び人だった祖父には自身も把握していないほど多くの孫がいて、僕の事を孫としての順番で「八番」と呼んでいだ。過去と現在の静かな交差に未来を見る短編小説。



こんぶトマト文庫

私です。

『その血のさだめを袖にする為の』

裏話。当初はもっとちゃらんぽらんなことを書いておこうと思っていたのですが(ジモティーでもらったベッドで寝たら背中を痛めた話とか)、脳ミソの隘路に陥ってそういうのじゃないなと思い直して全部没にして出てきた結果が、"家族"を主題に沿えた怨嗟と憎悪と希望の煮凝りのようなものでした。後半部はイトイ圭さんの漫画『おとなのずかん改訂版』の話になります。



KANAMORIN

こんぶトマト文庫のロゴを作ったひと。「白線の内側」の一味。いつか神奈川か東京かのどこかでライブいけばなパフォーマンスやってくれないかと思っている。

『たゆたう』

写真と言葉の協奏。言葉を生業にしているわけではなく、むしろその不確実さに対して慎重な姿勢を持つ著者が紡いだ言葉には、とても実直で剛健なもので存外な心地よさがある。



舟橋孝裕

ベーシスト兼エフェクター蒐集家兼夫兼父親なひと。「白線の内側」の一味。子煩悩なグッドダディ。

『最高の30代殺人事件』

ある日俺は『俺』に呼ばれた。いわく「30代の『俺』たちで集おうじゃないか」。人里離れた別荘地へ呼び出された俺は、そこで各年齢の『俺』と出会う。主催の『俺』が「皆で存分に話し合って30代最高の瞬間を決めようじゃないか」と声高に宣言したその夜、ひとりの『俺』が殺された。サスペンスでもなくミステリーでもない、『俺』による『俺』のための『俺』の小説。



ぴよ丘すぐる

ホビー好きでコスプレもしているひと。絵を描いたりユーチューバーやったり、それにつけても超人気質。

『ダイホージョー!銀しゃりプリンセス』『キラメキウールドリーマー』

女児向けナンセンスえっちまんが2本立て。「ハッピーなものを作りたかったから」という理由一つで生まれた快作。放っておけば大気圏外まで勝手に飛んでいきそうなほどに推進力がある作品を、強靭なあとがき一つでがしっと地に足つかせているバランスが秀逸。



かしやましげみつ

こんぶトマト文庫と名付けたひと。演劇ユニット「孤独部」「あたらしいまち」主宰のほか、「白線の内側」の一味であり「まにまに」の一味。レンタカーで車中泊をしながら八重山諸島を巡るアクティブな旅好き。

『目覚めたら異邦』

ある日、目覚めたらそこは慣れ親しんだ町ではなかった。仕事を終え、自宅に帰り、部屋のベッドへ横になったはずだった。しかし、目覚めたそこは見知らぬボロいドミトリーだった。直感的に思った、ここはインドなのではないか。うだった頭で見る夢のような、どこかそっけない優しさと諦めにも似た希望を感じられる異邦譚。



瀬乃一郎

音楽をつくるひと。「白線の内側」の一味。先の「廃墟文藝部」の劇伴のほか、ソロ名義AMAREISなどでも楽曲を発表している。ZABADAKで盛り上がる。

『アンダーカレント』

真っ暗な寝室で、毎夜物思いに耽るわたし。なかなか寝付かせてくれない、心身の奥底に流れる音に耳を向ける。長い暗闇の果てに明滅する、きっとそれが夜明けであるものを抱きしめる。



吉村桜子

たまに絵をかくひと。活動不定期ゆるふわ演劇ユニット「まにまに」の一味として作演出もしている。

『みづいろの日』

ある日の夜の一幕、追懐と夢想のマーブル模様、その淡いを優しく湛えたままに日々を生きる、記録のような童話のような、まちの一景。



赤井千晴

怪奇紙芝居をしているひと。何を話し始めても怪談が始まる雰囲気が出る。

『「最高の三十代に至るまで」』

今、最高の三十代を迎えている。しかしそれに至るまでの幼少期、十代、二十代の人生は負が積もりゆく地獄だった。凄絶な半生を堂々と綴り切った自叙記。



コマダカズキ

ドラムを叩くひと。プログレッシブ暗黒青春パンクバンド「パイプカツトマミヰズ」の一味のほか、ヒップホップのソロユニット「チリアクタ」として活動中。多芸。

『書評 梨野飛礫『ヒラリーステップ』』

架空の作家、梨野飛礫の新作『ヒラリーステップ』の書評。過去の二作品から見えてくる梨野作品に通底したテーマを踏襲する傍らで、新たな「最高」に挑み続けることを称揚する新作を紹介する。



@yugapanda

自動生成される音楽を作っているひと。「まにまに」の一味。arthurが好き。

『メイキングオブ最高の三十代ジェネレーター』

今回のテーマは「最高の三十代」であって、それに則って書かれた他の人たちの文章は当然「最高の三十代」なわけであって、ならばその文章を用いて作られた音楽は当然「最高の三十代」に適っているわけだ。という理屈から生まれた、「最高の三十代」の音楽の作り方。



表紙や中の挿し絵を書いてくれたひともご紹介。


河合真維

イラストレーターをしているひと。「まにまに」の一味。羽海野チカが描くキリンのようなひと(本当に描いてるかどうかは知らない)。


以上です。

個々のパーソナリティを知っている人にはもちろんのこと、一切合切そうでない人にも楽しんでもらえる1冊になったと思います。


11月27日からBOOTHにて発売予定となります。税込み1000円+送料180円となりますが、直接ご購入希望という方がいましたらこんぶトマト文庫のツイッター・インスタ・メールどれからでも大丈夫ですのでご連絡ください。

友人たちとの共作で、本を作りました。

タイトルは

『最高の三十代 ~Perfect SAN-JU-DAI~』

です。

〇12名の寄稿者が " 最高の三十代 " をテーマに、小説・漫画・詩・エッセイなど自由に書き下ろしたアンソロジー

はじめに

ぶんちん 『そんなことも忘れていたの -8月6日の日記-』

斜田章大 『三十路オブザデッド』

こんぶトマト文庫 『その血のさだめを袖にする為の』

KANAMORIN 『たゆたう』

舟橋孝裕 『最高の30代殺人事件』

ぴよ丘すぐる 『ダイホージョー!銀しゃりプリンセス』『キラメキウールドリーマー』

かしやましげみつ 『目覚めたら異邦』

瀬乃一郎 『アンダーカレント』

吉村桜子 『みづいろの日』

赤井千晴 『「最高の三十代に至るまで」』

コマダカズキ 『書評 梨野飛礫『ヒラリーステップ』』

@yugapanda 『メイキングオブ最高の三十代ジェネレーター』

おわりに


A5判|縦書き|164頁

企画:最高の三十代制作委員会

発行:2022年11月27日

価格:1,000円(税込・送料別)

装画:河合真維



発売は直接お渡しのほか、BOOTHを介した通販を予定しています。現在のところこんぶトマト文庫店頭で取り扱いする予定はありません。

詳しくは下記特設ページより(11月20日現在ではまだBOOTH開設していないのでもう少々お待ちください)。

寄稿者の紹介はちょっと長くなるの別の記事にまとめました。なんかWikipediaみたいですね。



以下、本誌冒頭の序文を掲載します。


この本は「最高の三十代 〜Perfect SAN-JU‐DAI〜」をテーマに、音楽や演劇などを介して知り合った友人たちに寄稿を依頼し、各々から出てきたものをまとめた一冊になります。作品の形態は一切を問わず、またページ数も上限を定めた上で各々の裁量に委ねました。

その結果、小説・エッセイ・架空の書評・詩・漫画・自叙伝・日記・果ては音楽など、実に

多彩な作品が出揃いました。テーマを除いて一切の一貫性がなく、何とも雑誌的な一冊になりました。


最高の三十代、というテーマを掲げる。

一見お茶らけているこの行為に付随している感情や背景は、決して楽しいものばかりではありません。何故なら三十代を迎えるためには、まずおおよその場合ゼロ代と十代と二十代を乗り越える必要があり、そしてそれはエスカレーターに乗っていれば勝手に次階へ着く、といったような容易いものでは無かったからです。人それぞれの困難や辛苦がこれでもかとやってきて、それらをどうにかいなして躱して、時には心身がバラバラになりそうな気持ちを抱えながらもどうにか息をし続けて、そして辿り着けるのが三十代です。

それらを乗り越えた今は自分を取り巻く何もかもがバラ色に輝いて見える、と言うことは、残念ながら全く無いです。むしろ激しく変動し続ける世界だとか果てしなく退行し続ける社会だとかかつては感じなかった肉体の衰えだとか、その他諸々しんどいことが日々新たにコンニチワしてくるので、どちらかと言えば、連日連夜濁った灰色やくすんだカーキをぶちまけたような名状しがたい色味をした億劫さを抱えたまま、目の前にある生活をしています。そしてそれは三十代を経て以降もきっと続いていくのだろうと思います。

それでもなお、そうだからこそ、そんな日常を直視したその上で、私たちは今の自分が今ま

での自分の中で常に最高であるし、そしてそれは日々更新を続けるものである、そう在り続けたい。そう思っています。


こんな酔狂な企画に乗ってくださった皆さま、そしてその酔狂の結晶であるこの本を手に

取ってくださった皆さま、本当にありがとうございます。


文責 こんぶトマト文庫 九鬼将司

※この文章は、2022年10月27日より茅ケ崎の喫茶店おもて珈琲さんにて行なっている企画「読む楽しみ、編む愉悦」にて頒布した冊子の一部となります。

それゆえに書き方が「おもて珈琲さん店内で読むもの」という体になっている箇所があります。ご容赦ください。焼うどんが気になった方は是非ともおもて珈琲さんへお越しください。ケーキも美味しいです。



この度「読む楽しみ、編む愉悦」と銘打ち、田畑書店のポケットアンソロジー(以下PA)というものを茅ヶ崎の喫茶店・おもて珈琲さんの店内で商う企画を行なうことになった。

ヨーコさんとこんトマさんの秋の読書三昧 チラシ

anthology アンソロジー・陶と絵と、文学と フライヤー表面

anthology アンソロジー・陶と絵と、文学と フライヤー裏面



PAとはどういったものなのか詳しくは後述するが(ブログ注 下記バナー参照ください)、ざっくばらんに言ってしまえば「お気に入りの短篇小説やエッセイを一冊の本にまとめて、君だけの最高の一冊を作ろう!」といったものである。主にパブリックドメインとなっている小説、芥川龍之介や太宰治など、の短篇が一冊の「リフィル」にまとめられており、それを「ブックジャケット」に編んでいく、というものとなる。とても業の深い良い遊びだと思っている。

今企画に当たり、まずはPAに収録されている作品を読んてみることにした。ここでラインナップを一読した時点で「ああこれ読んだことある、面白かったなァ」といった風に悠然と構えられたなら非常に気楽なものだったのだけど、お恥ずかしながら「ワァ、知らない作品だ!オッ、こっちはそもそも作者も知らない!」といったことが頻発したため、後の作業が大変難航した。何せこのPA、企画開始当初では合計139作品が収録されている。販売のスペース・お客さんの利便性の都合上、その全てを採択することは当然出来ず、打ち合わせの結果、43作品を選定することになった。「じゃあ43作品だけ読んだらいいんですね!」となるはずもなく、手持ちのリフィルや青空文庫を駆使して亀の歩みの如き遅読で一作品ずつ読み進めていった。


これに類する作業をされたことがある方ならおわかりいただけるだろうが、大まかに二段階の波が来る。

最初にやってくる波は

「次から次へ足していっても全然43に到達しない!」

であり、次にやってくる波は

「これも加えたいけれど43なんてとうに通り過ぎたわ!」

である。

調子こいて遠慮なく足し算した結果、引き算がとても辛い。一体全体私は何様のつもりだという気持ちをグッと堪えながら、数々の作品を泣く泣く不採択とした。先に述べた「業の深い」というのは、ここで湧き上がった感情に類似したものに起因する。

数々の作品を誰に気兼ねするでもなく手前の自由に取捨選択するという作業は、名状しがたい背徳感がある。


そうやってちゃちな辣腕をぶんぶこ振り回している中で、ふと

「自分でも一冊編んでみるか」

と考えた。

起点となったのは、梶井基次郎の『檸檬』だった。

これは数少ない既読の一作だったのだが、この度改めて読んでみるとその面白さに震えた。その際に得た感覚を元手に編まれたものを「愛おしく滑稽な人びと」と名付けてみた。各作品を選んだ理由やその他諸々は本紙の裏面に記載されているので、おもて珈琲さん特製焼うどんの出来上がりを待っている間にでも読んでもらえたらと思う。「愛おしく滑稽な人びと」についても、自前で編んだものを期間中棚に置かせてもらっているので、店内で自由に読んでいただければなお嬉しい。


滑稽、とは何だろうか。

辞書によると、滑稽とは

「①おもろしろおかしく、巧みに言いなすこと。転じて、おどけ。道化。諧謔。②いかにもばかばかしく、おかしいこと。」(広辞苑第七版)とある。

この②の例文に「本人は大真面目だが、はたから見れば滑稽だ」と書かれている。そう、誰かしらの大真面目な様というものは、傍から見るとなかなかどうして可笑しみに溢れている。我が身を振り替っても覚えがあり、周囲の人びとに対してもそういう感情を抱いたことは一度や二度ではない。


しかし、それはつまり正反対に転じれば、傍から見ている分にはどうしても滑稽であるし何をしたいのかわからない所作の中にこそ、当人にとっての真摯さが込められているのではないかと思う。

可笑しいことは、表層的には笑いのタネとされてしまうものであると同時に、その奥底に潜在するその人の魂を知る契機でもある。先の『檸檬』にしてもその他の作品にしても、傍から見れば何とも無様で滑稽な姿を晒しているけれど、誰もがその瞬間に対して真剣だ。

無様を晒さぬよう周りに合わせて自分を曲げて、誰かの滑稽を常に笑う立場を固辞し続けていれば、きっとまぁさほど嗤われずに日々をやり過ごしていけるのだろう。しかし、自分の根底がそうさせてくれない、そう在ってしまっては自分が損なわれてしまう、衆目に己を曝け出そうとも己が己であることを提示する。

それは無様で格好良い。

だからこそ僕は、滑稽を愛おしく思う。 

今年の秋も、読書週間にあわせて(かこつけて)いろいろな催しを予定してます。

こんぶトマト文庫は、茅ケ崎にある喫茶店・おもて珈琲さんにて先日ツイッターでも告知させてもらったこちらをやる予定です。これもちゃんとブログにまとめなければですね…


そして今回も一箱古本市を開催します!

日程:11月3日(木・祝)&11月6日(日) 11時~16時

場所:BOOK PORT CAFE

※11月3日については、BOOK PORT CAFE定休日のため一箱古本市開催の時間帯のみ開店となります。ご了承ください。

→3日も通常営業と同様に「10時開店、18時閉店」となりました。


3月・7月に開催した一箱古本市については私の持ち出し企画でしたが、

今回は上記のようにお休みの日に開けてもらうなど、BOOK PORT CAFEさんに諸々ご面倒見ていただくこともあり、ならばということでこんぶトマト文庫とBOOK PORT CAFE共同での開催としました。いつもお世話になっております。よろしくお願いします!

またBOOK PORT CAFE店内でも企画を予定しているとのこと。そちらも一緒に楽しんでもらえたら嬉しいです。


そして今年もお店の近くにあるおむすび屋・はますかむすびさんに、11月3日限定でおむすび弁当を作っていただく予定にしています。

事前予約・数量限定での販売になりますので、その旨ご了承ください。詳細が決まりましたらまた改めてご連絡いたします。

写真は第1回の際に作っていただいた「こんトマむすび弁当」です。大変に美味しかったです。今年はどんな感じになるのか今から楽しみ。

→今年のお弁当の写真を頂戴しましたので貼り替えました。栗ごはんむすびの入ったボリューム満点おむすび弁当です。

11月3日(木・祝)限定でこしらえてもらいます。10月26日(水)までの事前予約制、お値段ひとつ800円となります。はますかむすびさんのご飯はとても美味しいので、全部美味しいんですけれど何よりも米が美味しいので、ぜひご賞味いただければと。

※出店者の募集は終了しました。


また、現在一箱古本市の出店者の募集をしています。

定員は各日3組、

応募者多数の場合は抽選を行ないます。

締め切りは10月9日(日)17時59分です。

同日20時ごろにBOOK PORT CAFE店内で抽選を行ない、当落を応募者の皆様にご連絡します。

→の予定でしたが、10月9日14時現在、両日とも定員割れしています。

なので締め切りを

【10月16日(日)17時59分】

に変更します。

また、抽選ではなく先着順での受付に変更とさせていただきます。

よろしくお願いします!


基本的な募集要項については従来と変わりないので、以下のブログを参照し、第一希望・第二希望の日程を明記しご連絡ください。


去年の11月にやってみるかとやってみて、その後定期的に開催している一箱古本市、気が付けば始めて1年経ちました。あっという間です。これまでの回も出店者様満員御礼、ご来場の方も多く賑わい、おかげさまで難なく続けてこれています。ありがとうございます。


きっと今年の11月までもあっという間だと思うので、慌ただしく楽しんでいこうと思います。


ご来店・ご応募お待ちしています!

BOOK PORT CAFEの店主、ようこさんと共に"游書簡『舫』"というものを作っています。もやい、と読みます。



去年の長月から始めて、三号までは隔月ペースで、四号からは少しペースを落として三カ月に一回のペースで作成しています。続く五号は文月の頭に刊行予定となっています。


書簡、と銘打ってあるように、これはひとつの手紙のようなものです。

こういった手製の冊子や製本された書籍は一般にZINEやミニコミなどと称されることが多いですが、作ってる当の本人たちにはあまりそういう呼称を冠する気が起きず、それゆえに、書簡。



こんな内容のものになります。


〇表紙

題字と目次になります。

「舫」という字は、私達とご縁ある方々に書いていただいています。号数でもある左上の切手絵は、その方にちなんだロゴを描かせてもらっています。


〇羅針本

文・BOOK PORT CAFE店主

「羅針のように自分の在る位置、そして進む方向を指し示す本のこと」と定義し、毎号一冊の本を紹介しています。

これまで紹介した本

一号:奇跡の本屋を作りたい/久住邦晴(ミシマ社)

二号:常世の舟を漕ぎて ~水俣病私史~/語り 緒方正人 聞き書き・構成 辻信一(世織書房)

三号:海からの贈り物/アン・モロウ・リンドバーグ 訳 吉田健一(新潮社)

四号:蠅の王/ウィリアム・ゴールディング(新潮社・早川書房)


〇冒頭小説

著作権が失効し、パブリックドメインとなった短編小説等の冒頭2000文字余りを掲載しています。途中400文字までは表面に、残り1600字ほどは裏面に記載されています。

該当の作品が収蔵されている文庫はBOOK PORT CAFE店内にて販売しています。

これまで掲載した小説

一号:魔術/芥川龍之介

二号:運命論者/国木田独歩

三号:人形の家/ヘンリック・イプセン

四号:グスコーブドリの伝記/宮沢賢治


〇ワンダリング フロム ブックス

文・こんぶトマト文庫店主

放っといたら本の話ばかりすることになるので、本から離れたことを書いています。

これまでの話

一号:最初のご挨拶文

二号:VHS

三号:レコード

四号:山陽西小学校ロック教室(映画)

我ながら、取り留めも無ければ落ち着きもない迷走しきりな一頁です。そういう感じです。


〇水脈

文・BOOK PORT CAFE店主

水脈(みお)とは「船の通ったあと。航跡」のことをいいます。徒然に思うままが綴られています。


〇裏面

今号の題字を書いていただいた方の事の紹介、BOOK PORT CAFEの店舗情報等を記載しています。



現在BOOK PORT CAFE店頭のほか、主に近隣のご縁あるお店に置かせていただいたり、時々どこかしらに出店する際に携えたりしています。
無料でお渡ししているものになりますので、お見かけした際にご興味ありましたら、手に取っていただけると嬉しいです。

このところ、比較的あれこれと本を読む元気がある。

半ば自分をそういう状況に放り込んでいるが故でもあるけれど、それまで手に取らなかった作家の本を読んでみたりもしている。幸いなことに、これが面白い。今まで自分が読んできた本、それらから形成された今現在の自分の世界、その外側からやぁと気さくにやってきては僕をあっさりと魅了して新たな世界をお出ししてくれて、これまで培ってきた自分の矮小さと痛感すると同時にこれからの自分が眼差す新たな世界の可能性を期待せずにはいられない。


そんな折、ツイッターで「#生涯一作家しか読めないとしたら」というハッシュタグを見た。

なんとも殺生な話じゃあないですか、と思う一方で、そういう類の話はよく考えてしまう。


例えば、家が火事になったら。

今我が家には一体何冊の本があるのか、正確な数は誰も知るところではないのだけど(そういうものだろう)、もし火事が起きて1冊だけ持ち出すことができるとしたら、一体どの1冊を選ぶのだろうか、という妄想。

本当にそんなことが起きたら本どころではないかもしれないし、持ち出すにしても「手近なところにあったもの」となってしまうだろうから、あまり実態に即した話とは言えない。そんな実態起きてほしくないに決まっているのだが。


そもそも、この世には読みたい本が多すぎる。その全てを読み干すことはとうの昔に諦めている。

以前、友人と「生きている間に読みたい本を全て読むことは到底叶わないことについて」を話したことがある。その事実に対して、どういう感想を持つか。僕はそれに対して、いっそ希望を抱くと返答した。なぜなら「てことはつまりどんだけ読み進めてったところで読みたい本が死ぬまで無くなることはないという事」なので。飽くことがない、ということは素晴らしいじゃないか、という、己の肉体や精神の衰え、生活環境の変動といった要因から一切合切そっぽ向いてみて得た結論だ。

実際のところ、いつか本を読むことを捨ててしまう日が来るのかもしれないし、そういう日が来るより前に逝く日が来るのかもしれない。出来れば後者であってほしいし、そしてそれは可能な限りずっと先の予定であってほしい。


閑話休題。生涯一作家の話。

それならばやはり、今の自分を形成するに至った作家を挙げることになると思う。そうなると、あまり迷わず豊田徹也さんの名前を挙げることになる。豊田さんの作品に出逢ってなかったら、きっと今とは違う日常になっていただろう、という予感がある。無論他にもそうであろうと思う作家の方々はたくさんいる。でもおそらく、代替しようのない確かな座がそこにある。少なくとも、今のところは。


同時に、じゃあ他に音楽や映画ならこれというものは挙げられるだろうか、と考えてみる。こういう作業が楽しいのは、作品群に自分を照射して、そこから反響してくる光や音の具合を矯めつ眇めつすることで、ああ自分とはこういう人間なのかもしれない、という朧げな像を結んでみることが出来るからだ。その像はあやふやで、違う群に照らしてみたら全然違う像が結ばれることもあったり、逆に輪郭一つ伴わない影にしかなってくれない時もあったり、かつてはびしっとした像が出来ていたところへ久々に照射すると全く異なる結果がそこに写っていたり、そういう不確かさがある。

常に浮動し定型を持たず、そしてそれが確実になることはおそらく生涯通して起こらない。そういう自分を常に楽しみたい。

7月3日(日)11時より、茅ケ崎のBOOK PORT CAFEにて一箱古本市を開催します。

定員は3組、応募者多数の場合は抽選を行ないます。

締め切りは6月12日(日)17時59分です。

同日20時ごろにBOOK PORT CAFE店内で抽選を行ない、当落を応募者の皆様にご連絡します。

前回は中継でどうにかしようとしてみた抽選ですが、結果どうにもならなかったので今回もアナログな方法でやります。ご了承ください。


募集要項については以下のブログを参照してください。

11月の読書週間関連イベントにて単発でやってみたのが1回目、定例開催するぞとなって3月にやり始めたのが2回目、そして今回は3回目。

今回は同時に『舫』の五号も刊行予定としているので同時並行であれこれと忙しない感じになりますが、手抜かりないよう準備進めていきます。少なくとも、前回の抽選の時のようなざんねんを晒すことが無いよう、気を付けていきます。


ご応募お待ちしています!

①毎日百冊くらい本読みたい

世の中には今からこれくらいのペースで本読み始めて到底読み切れないほどに本があって、さらに言えば同じ本を何度も読みたくなることだってあるのだから、せめてこれくらい読ませてくれよみたいに思うことがある。

別に速読とかいうやつをやりたいとかではなくて、むしろああいう「詰め込む」読書は多分しんどいのでやりたくない。お仕事で読むもののような、とりあえず頭突っ込んどけ的なものくらいでしかしたくない。

じゃあ1日24時間の内でそんな読めるわけないだろうって思うじゃないですか、僕だってそう思います。ならばどうしてほしいかっつったら1日が大体3000時間くらいあって、そしたらなんとかいけるんじゃないかって思うのです。もちろん今の時間間隔を1/125にして実質3000時間!という、だからどうしたという類の詭弁を弄してそう言い張ってもいいわけですけど、それだと結局new時間単位の中で作業単位でしかないので、やはりnow時間単位においての3000時間が欲しい。それが毎日なので精神と時の部屋なんて目じゃない。


②毎週ライブに行きたい

この前ひっさびさにライブハウスへ行った。何年ぶりだろうか。少なくとも2020年以降一度も行っていなかった。

学生時代、ライブハウス遊びを覚えた頃は毎週ライブに行っていた。なんなら二日連続で行ったりもしていた。最初の頃はキャパが四ケタくらいの大きなハコ、小さくても数百は入るくらいのところへ、タワレコやHMVでレコメンドされていたり雑誌で紹介されていたりmixiのコミュニティの人数が数千人いるようなバンドのライブを観に行っていた。

次第にだんだんと小さならハコ、100人スシヅメで満員御礼になるようなところへよく行っていた。ステージに立つ世間様的には無名甚だしい人たちがいろんな汁を飛ばし散らしながら掻き鳴らすうるさい音楽に夢中になっていた。そういう時期もあった。

だから久々に行くライブハウスは、とても楽しみだった。もちろん光景は一変していた。誰彼もがマスクをしていたし、演奏が終わっても歓声ひとつ上がらなかった。思わず叫びそうになる心の衝動を新入りの理性が強力に押さえつけてくる。きっと誰彼もがそう。でも、じゃあそれで音楽の良さが無くなるのかと言えば、そんなわけもなくて。

良いライブばかりじゃないのは当然。本だって映画だってなんだってそうだ。だからせっかく赴いたライブハウスでとてもガッカリしてしまうことなんて数えきれないくらいあったし、嫌な思いをしたこともある。それでも、音楽を全身に浴びて心震わす瞬間があることを理解してしまっているから、きっとこれからもライブハウスへは行く。


しかし残念ながら

今住んでいるところの近くには通い詰めたいライブハウスがなく、というかそもライブハウス自体が無く、さらにはなんやかんやとこんトマ関係で時間もお金もララバイなのでそんな余裕あるわけもなく。

その甲斐あってか、家のオーディオ環境がだんだんとよくなっていく一方だ。

とても好きなバンドの圧倒的なライブ映像。そして始終不穏な名MC。



③毎日家でご飯作りたい

結局のところ、自分で作るご飯が一番いい。コストも味も中身も。そういう風に生きてきている、というより、単に大飯喰らいで選り好みするタチだから、自分で作るのが最適解だ。

とはいえ、五合炊いたお米が一日で無くなったときはさすがにどうかと思った。

そして、気持ちの上では、と冠しているということはつまり、なかなかそういう訳にはいっていないということだ。最近のお昼ご飯はカロリーメイトとカップスープ。だんだんと面倒になってきてでそれでいいやとなっている。それってどうなんだと自問しつつもそう崩れてしまっているのは、ひとえに今の日常生活の負の側面の顕れなのだろう。

しかしやはり、自分のご飯はとても好きなので、きちんと作っていきたい。ひとまず明日は豆腐を食べる。

「こんトマ新聞」というものを不定期で作っている。

元々発端となったのは、BREWBOOKSで借りている棚を整理し思い切って「詩」の本のみにしてみた時、どうせならなんか紹介文みたいなの書いてある頒布物作ってみよう、と思い立って、なんやかんやと頑張った結果1週間で作ってみたものになる。

ちょうど同じタイミングで、八王子にある「雨と休日」という素敵なCDショップが作っているフリペを読んで、こういうのいいなぁ、と思っていたので、じゃあ作ればいいじゃない、と奮起したのでやってみた次第だ。

雨と休日さん、掛け値なしにとても素敵なお店なのでこちらぜひ。

閑話休題。

それで、せっかくこういうもの作ったのだからBOOK PORT CAFEでも配るかとなりそちらにも置き始め、以降何かしらフェアを組んだ際に作るようにしている。

初回は「詩」、二回目が「外文」をテーマにしている。自分としては販促物として製作している節があり、その甲斐あってかそこで紹介した書籍が(まぁ正直因果関係あるかと言われたら目を伏せるが)売れることも幾度かあった。率直に有り難い。


この前の12月と1月に開かれた、ジュンク堂書店吉祥寺店さんとブックマンションの共同イベントでも頒布している。だいぶと完成が遅くなって、いざ棚に並べたのが会期終了1週間前だった。今改めて見ると「その1」などと銘打って続きを前提としている書き方で終わっているけれど、果たして続きが書かれることはあるのだろうか。反語。

過去分を見てわかるとおり、どの新聞にも挿絵が載っている。描いたのは僕だ。特にこれまでの人生で「絵を描くこと」に執心したことがなく、それがゆえにこの、よく言えば味がある感じの絵をそのまま載せている。元より上手く描くぞ!という気がない。せいぜい頑張って描くぞ!くらいなものだ。


四月の頭から、『舫』の発行に合わせて宮沢賢治のコーナーを作ったので、それに伴ってこんトマ新聞も新たに作った。

これに描いた宮沢賢治の立ち絵を、いたく気に入ってしまった。自分で描いておきながら。今まで自分が作ったもの(そもあまり作ることに注力することがない)に対してあまり強い関心を抱くことが無かったのだけれど、ことこの絵に関しては珍しく、もしかしたら初めてというくらい「これめっちゃ良くない?!」と方々で見せびらかしている。

せっかくなので、少しばかり修正した画像をSUZURIにアップして、自分好みのグッズを作ってみた。

濃いグレーのTシャツや生成りのトートバッグにこの絵は絶対合うだろ、と思って合わせてみたらまさしく良い感じになった。今までにない感覚にえらく気分が高揚した。



ということで、売ってみることにした。


と、いうことで

初めてオリジナルの何かを作って売ってみることにしました。

当初全然思いもしていなかったし「まぁ自分はそういうんじゃないしな」と斜に構えていたところあったけれど、やってみたいと思ったことはひとまず片っ端からやっていきたい精神でやってきているので、じゃあやんなさいよとなりました。

前に『舫』二号の巻末で、BOOK PORT CAFEのようこさんが僕の活動の事を「日々更新されていく航海図」と表現していて、このところまさにそうだなと思うことしきりです。日々なんかあれやろうこれやろうと目移りしている。全くもって落ち着きがないとも言えるし、もう少し地に足つけてやるべきことあるんじゃ?と自問しないでもない。

でも結局、どうしようもなく湧き上がってくる衝動に抗う理由はないわけで。


今のところ期間は設けずそのままにしておく予定なので、気が向いたときに見てもらえたら嬉しいです。

もしかしたらまた別の何かを描いたときに「これだ!」ってなって増やすかもしれないし。

SUZURIはたまにセールもやってて、あれこれ安くもなるのでその際に是非とも。

元より、男性は存在に攻撃性が伴っている。


今僕は男性で、これまでも男性であったし、今のところこの先も男性として生活していく心づもりをしている。その上で、この前提は自分の存在を考え言動をふるまう中でずっと外すことが出来ないものだと思っている。

そしてこれは、世の男性おおよそ対して「我々そう思って丁度いいくらいじゃないか?」と思っていることでもある。


前提の前提として、個々の人間が持つ善性であるとか日々積み重ねている善行といったものは、根本的な存在の上に成り立つものであって、攻撃性が伴っているというのはあくまでそのさらに手前、個々の人柄を一旦取っ払った根っこのところにある話。

この前提に対して「自分はそんな人間じゃない」というのは、少し位相がずれている。そりゃあ、自分が誰彼に対して身に覚えのない攻撃性を発していると言われるのは気分がいいものではないだろうし、それよりはまったき善良な人間であると無条件に受け入れてもらった方が多分心地いいのだろう(個人的にはそんなん最大級に警戒したくなるが)。

自分という人間を見知らぬ他者が見たときに、即座にその内々にある善性を見抜いてくれたら話は早いのだけれど、そんな超能力者はそうそういない。結局大抵の見知らぬ他者は死ぬまで見知らぬ他者だし、当然その人が善良な人なのか邪悪な人なのか、それはきっと知る由もなく、正体のわからないままだ。


一般男性が思っている以上に、少なくともこの日本社会では、女性は男性に相当痛い目を見させられている。痛い目程度では済まされず、言うなれば酷い目、もっと言えば殺してやりたい程の目にも遭わされている。僕は女性の友人から各々遭ってきた目について話を聞いたことがあるけれど、そのどれもが信じがたく、また度し難かった。

そしてそれらに僕は遭ったことがない。それはおそらく確実に、僕が男性であるから。

どういうシーンで、どういった間柄の人間から、どういう言動を以て。それが僕にはわからない。だから女性の体験談を聞くと、いつも面食らってしまう。


女性が男性から受けた被害の話を見聞きしていて、また逆にその体験者を攻撃、もしくは俎上に上がっている男性を擁護している声をも見聞きしているうちに、女性が傷つきやすいのではなく、男性が他者を傷つけやすすぎるだけなのではないか、とふと思った。そしてそれは、自分が傷つくことに耐えられない、自己愛で精いっぱいのか弱い防衛本能からくる攻撃性なのではないか、とも。いわゆる「男社会」的なもの、強くなくてはならず、弱音は吐いてはならず、傷ついてはならない、そういう信条の行く先にあるのが、自分が傷つきそうになったら他者を傷つける行動。そこにある刃は誰かに振るわれなければならず、そして自分であってはならない。そしてそれは自分より弱い者、自分が弱いと認知する者に向けられる。


まるで他人事のように書いているけれど、これらの言葉は全て僕自身に宛てたものだ。どれだけ考え親身になろうとも、僕は此方にしか立つことが出来ず彼方に行けない以上、本質の1%たりとも理解をすることは出来ない。

ならばせめて、自分という男性には攻撃性、加害性が前提として存在に付随している、そういう認識で生活していた方が、結果的に誰彼もが安心して生活できるんじゃないかと思っている。

まず前提として、私は件のオープンレターに書かれた主旨については引き続き賛同しています。

冷笑的文化、性差別的な言動、それらをない交ぜにして対象を嗤わねば気が済まないコミュニケーションの在り方はとても受容は出来ず、特に今なお続く北村さんに対する中傷は目に余るものばかりで、それは大げさに言うなら、すべての人が距離を取るべきものであり己の血肉にすべきではない風習であると思っています。

そういった理想を"キラキラなもの"といって揶揄されていることも拝見しましたが、理想を掲げそれを目指すこと自体は決して無下にされて良いものではない。そう思います。


その一方で、今回私は賛同人から名前を削除していただくよう要請、これを受理していただき名前が削除されました。

それは「オープンレターの運営」に対して懐疑的になったからです。


古谷経衡さんの名前を誰かが騙って署名をしていた事実が明らかになった時点で、それまで存在していた「1316人の賛同人」の正体が不確かなものとなってしまっており、本来であれば運営をする人たちが賛同者全員に対して可能な限り速やかに、署名の真偽を確認する。

とはいえそれには時間もマンパワーもかかることは十二分に予測できる話なので、そういった方策を打ちますという事を公に発する。可能であればいついつまでにという期日を設ける。

それについてもだし、そもそもの発端となった古谷さんに対して、(この場合ご本人がそれは偽だと明確にしているので)即刻削除と調査を行う旨を伝達するためにも、呼びかけ人もしくはその代理人などが中心となり運営側の窓口を設ける。


上記のような点が、発端となった古谷さんの騒動から2日ほど経過した時点で、少なくとも外部から見ていた限りでは全く疎かになっていたことが署名の削除を依頼するに至った理由です(2日としたのは、19日にはオープンレターのサイトに追記がなされていたからです)。

「たかがその程度で疑心を抱いて辞めてしまうのか」という声がどこからともなく聞こえてきそうですけれど、これを"たかが"と言ってしまうことは、他者を軽んじすぎていると思います。理念がどうこう以前の話です。私にはどうしても、これは"裏側の事情を知る人たち以外の他者"に対してとても不誠実な行為だろうと思い、看過することは出来なかったです。

何かを運営していく上で事務作業というものは程度と種類の差はあれ必ず発生します。そしてそれは表立って見える陽の部分が大きければ大きいほど、それに比して大きくなる陰の部分です。決して後回しにしていいものではなく、むしろ先んじて仕込んでおくに越したことはないものです。それが構築されていなかった、のみならず、その後も表面上は無体のまま今に至っています(実際には存在していて動いているのかもしれませんが私には今なお見えません)。それがとても残念です。


以上の経緯で、私はオープンレターから署名を削除しました。

3月6日(日)11時より、茅ケ崎のBOOK PORT CAFEにて一箱古本市を開催します。


定員は3組、応募者多数の場合はブラウザ上の抽選ソフトを使用して抽選を行ないます。

締め切りは2月20日(日)17時59分、同日抽選を行ない応募者の皆様にご連絡します。


募集要項については以下のブログを参照してください。

11月に初めて一箱古本市をやってみて「あっ結構面白いなコレ」と思い立った勢いに任せて定例でやるぜ!前は借りてたタープも買っちまうぜ!となってみたはいいものの、いざやりますと告知してみると既に反響があり、正直言って慄いてます。

しかも前回はBOOK PORT CAFE店主との共同開催でしたが、今回は私こんトマが主催。責任が全てのしかかってきやがる。まぁ、言うたところで特にやる事に大きな変化が起きたわけでもないんですが。

とはいえ、こういうのが自分の住んでる町のどっかでやってたら面白いよな、という念が潰えたわけでは当然なく、むしろこれは見てくれがどうあれやってった方が多分面白いなという気持ちがより強く深化した気さえします。


自他への影響などがどういった感じになるかわかんないけどひとまず定例でやってってみよっか、という結構実験的で個人的で意欲的な試みと自称しています。

どうぞよろしくお願いいたします。